Trust yourself.


昔の話をしたいだけなのに、古参ぶってると思われるのがずっと怖かった



いつか推しに出会った後の自分の話を書きたいと思って、何ヶ月も前に残していた文章がこれだけでした。
ただ推しのおかげで人生も価値観も変えられて、大袈裟に言えば命さえ救われてしまった私なので、自分のために残そうと思いこれを書いています。お目汚しでしたらすみません。面白くもなく読みづらいけど、どこか一個でも共感してもらえたら、最高の供養になると思います。成仏したいよ。






私が推しと出会ったのは2011年4月、震災の被害がどんどん明らかになっていく毎日。私の住まいは東北のとある田舎、原発事故で名の知られてしまったあの県でした。皆は忘れないことが大事というけど、私はどちらかというと記憶からなくしたくて仕方ない。実際思い出せることは少ないけど、推しと出会ったきっかけは覚えてます。


当時高校生で演劇部所属だった私の、1つ上の小柄で可愛らしい憧れの先輩。彼女が好きだった特撮の、始まったばかりのシリーズがあるからちょうど良いだろうと録画していたのが『海賊戦隊ゴーカイジャー』の第4話だった。

あの時はテレビをつけても震災報道特番か、例のCMしか流れていなくて。放射能の影響で外にもほとんど出られなかった。水が出たのも一週間後で、落ち着いたのはいつ頃だったかな。幸い避難の必要はなかったけど、いつ状況が変わるかわからない緊張の日々。恵まれている方なのは理解していたけど、本当に本当に何も無い毎日に、唯一の楽しみとなってくれたのがそのゴーカイジャーだった。
第4話、推しのオタクなら見た人も凄く多いのかなと思うんですが、最初の推し回じゃないですか。


「なんだこの美人さんは、ホントにちびっこ向け番組か」


くらいの衝撃だったのかどうかは分からないんだけど←
いつの間にかその4話を、繰り返し繰り返し見てた。あの時の私は確かに、ゴーカイジャーに救われていた。




なんとか二年生に進級し、勉強もそこそこにまた部活に打ち込むようになった。大事な大会で一丁前に主役を与えられた私は、一丁前に「お芝居の参考にさせていただいてます」とゲスブ(D2モバイル・ゲストブック)に書き込んだり、日曜日は7時25分
に起きてリアタイした後に部活に行ったり。部内で見てくれてる人も結構いて、引退時にもらう色紙には「ゴーカイジャーは永遠に不滅です」なんて書かれてました。お恥ずかしい。

ただ田舎の18歳、本当に何も知らなくて。クラスメイトのモノノフちゃんは月に何度も夜行バスって言ってたけど。CMで初めて知った素顔の公演、なんとかチケットを取って「劇団の練習」と嘘をついて、本物に会いに行ったのは2012年3月10日のこと。バスの予約が分からなくて前日に窓口行ってみたけど取れなくて、捻り出した諭吉で単独新幹線に飛び乗ってみた。あの日からちょうど一年という時、黙って東京まで来て、こんなことしてていいのかなと、ちょっと痛かったのはまだ親には言ってない。




そのまま、私はある公立の短大へ進学した。親が過保護ゆえに一日2食付き掃除不要の下宿生活。余計なことすんなと長期のバイトは基本禁止で、でもほどほどに楽しいことも覚えていった。夏は推しが役を演じた上での『夏フェス(というくくりのライブ?)』も行ったし、チケ譲ってもらったお姉さん(Kさんとします)と一緒に翌年のお正月は初接触会。ハイタッチなのに両手でぎゅーっと掴んで離してくれなかったあくにゃんと、頭真っ白になってでも右手は離されないままなので左手差し出しそうになった陳ちゃん、当時の趣味がやばだった私のエクステを褒めてくれたみっちゃん。私だけじゃなく、精一杯オシャレしてきた女の子を褒めてくれるみっちゃん天才。めっちゃ覚えとるで。推しはあの指ちょっと絡めるやつやってくれたと思い込んで記憶にした。んなわけない。

そういうわけで最初は上手くいってたんだよね。ただ朝が苦手で朝食時間が早くて、大学の始業時間まで二度寝することもしばしば。そんなことをしてるうちに、遅刻と(今更行っても迷惑)の悪循環で昼夜逆転生活に。基本真面目だねって言われるんだけどね(どこがだ)。だからなのかな、罪悪感でしょうもなくなって、痛みで気絶するほどの腹痛持ちになってた。ホームシックもあった。処方された薬飲んでもお腹痛くて泣きながら『ガチバンULTRA MAX』の円盤見てた。心療内科紹介してもらってもしんどくてしんどくて連絡もなしにサボった(絶対にやっちゃいけません)。
ほんとに辛くて辛くて、隣の部屋に聞こえないように泣いてぬいぐるみ殴って投げつけて、腹痛で朦朧としながらも夕焼けの差し込むベッドでカッター握ってた手のビジョンを今でも覚えてる。死にたいというよりは消えたかった。けど消えるには死ぬというのが現実的だった。痛いのやだなぁ、お母さん泣くかなぁ、とか、いろいろ考えたけど決定的だったのは、来月の全握、そんな手で行けないよなぁ、だった。切るのはやめた。お母さんに電話して全部話した。学校やめた。




といいつつ、ちゃんと退学したのは卒業する予定だった年の春。その後は一年バイトして専門学校に入ったりして、親には迷惑かけっぱなしだったけど推し事は一番充実していたような気もする。ずっとTwitterで話聞いててくれた前述のKさん(かわいい)はでつの他担のお姉さんで、私の推しの現場からその担当さんの現場まではしごとか、一緒にバスツアーも行った。前日に一緒に選んだネイルを328さんはやっぱり褒めてくれた。ライブ後にご飯も行ったけど、推しが好きすぎて4日間ほとんど固形物が食べられなかったこともあった。推しが共演の事務所舞台では神戸まで連れて行ってくれたりもした。ただちょっと、その前辺りからいろいろあった事情で、後にお姉さんは新しい世界を教えてくれるようになりました。



これがdrst、新しい推しとの出会い



なんだかんだで推しのオタクを続けてこられた私。ラブドリームハピネス殿のお仕事でファン層ガラッと変わったり増えたりはあったけどね。正直その変化に素直についていけなくて、他のファンの方々が怖くなったのもこの時期だった。古参が偉いとも思わないし、偉い古参をなのれるほど頑張れてたオタクじゃないし、私は弱いし、何も無かったしね!何もねえ!何もねえんだ…推しの主演舞台でなんとか「普通」だと思って生きてた


その後、10月ね。横浜でVRライブがあるからと誘われて、drstの現場に連れて行ってもらった。
結果、椅子から落ちた。ガチで、衝撃のあまり。円盤でちょくちょく見せてもらってて定形内の女(Kさんが言うには好みが決まってる人)としては青い子(水星人)が好きだろうって。いやいやそんな、私には推しという人がいるのでモニョモニョ…と思ってたのに。悔しいし申し訳ない。推しは浮気嫌いなんだもん。でも気付いたらその公演に4回?入ってた。グッズ買ってた。バンダナつけたペンラ振った。楽しくて楽しくて地元戻って少しして、ふと推しの共演者のTwitterを見たら、推しが押し入れで「他の男が」どうのこうの言ってた。浮気バレたかと思った。ガチで泣いた(不審者)。



(みんな推し以外にも好きな人はいっぱいいる。素敵なこと。なのに私が目移りすると浮気になってしまうんじゃないかって、変な話じゃなく勝手に首を絞めてしまう。未だに苦しいよ。)



でもその後は、例の水星人(のお友達というくくり)の役者さんの舞台も見に行ってしまった。本名推しの円盤発売イベやらを挟んで、なんとか就職した後も、行ったのはドルステだった。職場が土日休みを(冠婚葬祭でもしぶしぶしか)取れないシフトだったので、映像班の推しより舞台に行く方がお休み取りやすいんですよ。ただ私はそれを言い訳に気付いてしまった。多分うちわ持ってキンブレ振ってる方が、オタクとしての私はずっと性に合ってるんだ。ちょっと苦しかったよ。青い子②(準惑星人)が好きになって、頑張って作ったうちわにファンサをくれて、こんな世界もあるんだって世界一幸せ者になった気持ちだった。その繋がりで別の舞台も行った。グッズを集める楽しみを覚えた。推しに見返りを求めるって、信じられないしちゃいけないことだと思ってたから。反動かな。


同時に仕事も忙しくて、元々マメに作品を見れない私は段々推しを好きな気持ちも思い出せなくなってた。いつもどんな時も、出演作見れば好きだなあって思い出して幸せになれてたのに。推しはいつか、自分は遠くに行ったりなんかしない、ずっとここにいるなんて言ったけど。こればっかりはごめんなさい、気持ちって当事者にしか分からない。

後々(というかつい最近)知ったんですけど、ずっとTwitterで繋がっててくださったお姉さん(Gさん)も声を掛けようかと心配してくださってたらしい。すみません。

それだけ苦しかった。一時はイベント関係もほとんどご縁がなかった。チケットが取れないなんて初めてで、新規だけど界隈は凄く慣れてそうなお姉さんにダブった分を譲ってもらったりもした。内心では、浮気してるから推しに嫌われたのかとすら思った。認知すらされてるわけないのに。ただ写真誌イベで生まれて初めてのツーショチェキと、私の顔を見て(そんなに面白かったのか)ちょっと笑ってくれたことが救いだった。わかる、面白い顔してた。

けど。このまま【好き】を本当に思い出せなくなったら、私のそれまでの数年間が全部なかったことになるんじゃないかと思ってた。何があっても私には貴方しかいなかったはずなのに。お爺ちゃんになった貴方の訃報を、盛大なニュースで見届けてから死ぬつもりだったのに。私の世界じゃ私が一番、貴方を好きだったはずなのにね。

こんな思いをするために働いてた訳じゃない。だからと言ったら嘘になるけど、色々あって仕事もやめた。





転職先が見つかるまでアルバイトで繋ぐことになった。推し現場の新しい予定は入らないまま。drstは最前でキンブレ振った。うちわにモロのファンサを3回もくらった。投げチューで人は死ぬ。新しい推し(今度は赤い子)もできた。バレンタインは逆チョコまでくれんだよ、よく出来た推しでしょ?今でも無性に会いたくなる。

でも彼らは、本気で応援してた準惑星人達は、それぞれの故郷に帰ってしまった。また会おうって最後のライブで行ったのに、何の音沙汰もありません。そういう寂しい時に、非常にズルいんですけど、本命の推しがご縁を仕掛けてきた。特大のやつ。


主演の映画で、いつも一生懸命な彼がそれ以上に意気込んでいて、勿論見に行くつもりだったけど地元で公開されなきゃ遠征するしかない。映画一本にどこまで…と考えてたら、推しのお誕生日、舞台挨拶にお席を用意してくれた。浮気者の身の丈に合わぬとっても素敵なお席で、正直足が震えた。お手紙はちょっと頑張った。下手なりに頑張ってた絵を添えて。お洋服も頑張った。高過ぎて長過ぎるスカートめっちゃ踏んづけまくりながら。彼はお誕生日を「いつもより沢山ありがとうが言える日」と言うけど、それはこっちの台詞なんだよね。


完全にタイミングの問題なんだけど、戻ってきてもいいよって言ってもらってるように感じちゃう。都合のいいオタクだから。どこに居たって最善席、何度も目が合ったと思い込ませてしまう。そんなスキルばっかり身に付けてきたから。真面目な話、どれだけ距離を感じて勝手に離れてしまっても、ちゃんと戻ってこれるのはその時こそ、貴方が変わらずそこに居てくれるからなんです。伝わるかな…。







それでね、彼が本当に凄いと思うのは、「お手紙読んでます」が嘘じゃないなと思ってしまうところです。実際どれだけ貰ってんだよ!そんなに忙しいのに読んでくれるとか無理!休んで!手紙書いてごめんなさい!きっと私のだけ風に飛ばされてるね!深夜ポエム!つって初期は割り切って書いてたけど、あれだけ人に対して真摯な人間が嘘ついてると言う方が悪い。申し訳ない。それどころかいちいちエゴサするドM俳優……なので推し甘やかしオタクはエゴサに引っ掛かりたい時はフルネーム入れるようにしました。
ぜひ皆さんも、「○○○○(推しの名前)、かっこいいよね」だけでもいいのでツイーヨしてあげてください。この前お姉さんズにムビチケ押し付けたらちゃんと観に行って感想まで呟いてくれてたので信頼しかありません多謝。


時々、一生懸命すぎて疲れちゃうんじゃないかって時もある。でもお姉さん(Gさん)とは、推しのこと止めたくはない、応援したいよねってお話をしました。そう思えるだけ私たちの見てきた彼は、いつも真っ直ぐで芯の通った、変わらない一人の俳優さんだった。これだけ人として好きになれる人もこれから先居ないんじゃないかって心配になります。女としてやばいぞ。

だから言わせてほしい。二番でも三番でもいいなんて言わないで。ずっと貴方が一番好きな人、私だけじゃなくいっぱいいるよ。



一番大好きです、震災のとき救われましたなんて何度も手紙に書いたけど、彼の絶対の自信になんて、少しも足りていないのかもしれない。いちファンていう小さな小さな存在だから当然なんだけど、きっと声自体はちゃんと受け止めてくれているし、それを小さいなんて言わない人だとも知ってる。そうじゃなきゃ目に見えないものも「全部届いてる」なんて言えないよ。貴方以外にそんな人を知りません。


私が手紙を書く動機は『感謝を伝えたいから』と『自信になりたいから』なんだよね。それを諦めないで、何かを返したいって伝える努力を教えてくれたのも彼だった気がする。出会ってから、会いに行くようになってからは流行りのオシャレもお化粧も覚えた。会う度に可愛くなるねって言ってくれる人もいる。オタさん達とお話したり本人が言ってくれたりするまで、ずーーーっとお仕事いっぱいで凄いなぁと尊敬して自分も頑張ってた。盲目的というより、俳優オタになる前に彼のオタクになってしまったから。私の世界で彼が一番だから、不自由ないほどには売れてるんだと思ってた。でも事務所が鍋じゃなきゃ妖怪メシ食えBBAは米と肉となんかメシ食える券を送り付けていたに違いない。 短大へ進路決めた時も、その後専門通って資格取ったのも、時期的に自分を重ねて見ていた『GTO』の藤吉くんに勇気をもらったからでした(調理師になりました)。
安いかもしれないけど、今の私がここにいるのは、本当に本当に貴方のおかげなんです。


映画『あの頃、君を追いかけた』より、水島浩介くんと山田裕貴さんを重ねて。貴方はもう私にとって一生で一番の『すごい人』だよ。





そんな私の今の目標は、推しの真似っ子ダイエットで5キロ痩せることです(無理)